▲500人規模の宴会で賑わった「聚楽」
この大広間を設計した高津氏は、
「たまたま紙で折った造形模型を研究所に貼っておいたら、
武先生がおもしろいと言われ、
それを元に天井をデザインしました」と語っています。
※この大広間は現存していません。
建築が始まると泊り込みでした。
[AAエイツー設計代表 高津昭生]
昭和35年に早稲田大学を卒業するとすぐ武研究室に入り、
先輩の藤倉忠夫さんらと共に、鳴子ホテルの設計に携わりました。
私が担当したのは3百畳敷きの大広間「聚楽」です。
建築が始まると泊り込みでした。
当時、私は結婚を控えていて、
結婚式には鳴子から長崎県佐世保市まで、
列車で一昼夜以上かけて駆けつけたんです。
着いたのは式が始まる寸前。そんなこともあり、
鳴子ホテルの仕事が忘れられません。
※高津昭生氏はほぼ四世紀にわたり、武先生の片腕として働かれました。